婚約指輪(エンゲージメントリング)を選ぶカップルであれば、必ず出会うダイヤモンド。
無条件に美しいと思うその姿は、何世紀にも渡って世界中の人々を魅了してきました。
西洋の歴史には宝石にまつわる逸話がたくさんありますが、中でもダイヤモンドは、特に逸話が多い宝石として知られています。
さまざまな形や大きさ、そして歴史があり、調べてみると意外とおもしろいもの!
婚約指輪(エンゲージメントリング)としてのダイヤモンドとは少し離れて、ここでは歴史上有名なダイヤモンドをいくつかご紹介します。
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①カリナン・ダイヤモンド 3106ct
1905年に南アフリカのプレミア鉱山で発見された世界最大のダイヤモンド原石。
1907年、英国国王・エドワード7世に献上されました。
エドワード7世は原石のまま保管することを相談されたのですが、「輝いてこそダイヤモンド」と考えるアッシャー社(現在のロイヤルアッシャー)は、「カリナン」のカットを王室に進言。
彼はその言葉に打たれ、カリナンのカットをアッシャー社に託しました。
世界一のカット職人と呼ばれていたジョセフ・アッシャーを中心とした職人たちの卓越した技によって、カリナンのカットに成功。
9個の大きなダイヤモンドと96個の小さなダイヤモンドに姿を変えたカリナンのうち、もっとも大きなカリナン1世は英国王室の王笏に、二番目に大きなカリナン2世は大英帝国王冠に飾られ、今も英国王室の至宝としてロンドン塔のジュエルハウスに展示されています。
②ヨンカーダイヤモンド 726ct
1936年 ヨンカーダイヤモンドのカットに成功
このヨンカーダイヤモンドは当時世界で発掘されたダイヤモンドの中では史上二番目の大きさでした。
宝石商としても有名なハリーウィンストンがヨンカーダイヤモンドの原石を手に入れました。間違いが絶対許されないカットをラザール・キャプラン・インターナショナル社(現在のラザールダイヤモンド)へ依頼しました。
ところが、イギリス・ロンドンの保険会社ロイズ社は、カットの際に起きたミスについては一切保証をしないとの決断を下したそうです。当時、アメリカに運ばれたダイヤモンド のなかでは最大のダイヤモンド原石だったため、ラザールキャプランの緊張感は最高潮に達したと伝えられています。
ラザールダイヤモンド の創始者ラザール・キャプランはこの歴史に名が残るヨンカーダイヤモンドを1年の歳月を経て綿密に調査しました。そして、1936年ついにヨンカーダイヤモンド のカットに成功しました。
③パシャ・オブ・エジプト・ダイヤモンド 36.22ct
インドで採掘された八角形(オクタゴン)にカットされたダイヤモンド。
1848年、エジプトの将軍が2万8000ポンドで購入し、1879年に息子が追放された際、大量の宝石とともに持ち去ったと記録されています。
1933年には、そのダイヤを所有していたカルティエがエジプトに売却し、エジプト王のものに。
その後イタリアの宝石商ブルガリが買い取り、アメリカのバーバラ・ハットン夫人に売却。
しかし夫人はこの八角形が気に入らず、カルティエに再度カットを依頼することに。
38.19ctになったダイヤは、再びカットされ36.22ctとなりました。
現在はヨーロッパの個人が所有しているといわれています。
④ジュビリー・ダイヤモンド 245.35ct
1895年、南アフリカの鉱山で650.80ctの原石が発見されました。
発見当時はライツと名づけられていましたが、2年後にはジュビリーに改名。
その年はダイヤモンドが研磨された年であり、ビクトリア女王の即位60年祭(ジュビリー)でもあったからです。
245.35ctのクッションブリリアントにカットされ、研磨されましたが、その際に無色透明の非常に完璧な13.34ctのペアシェイプのダイヤも取ることができました。
これらはインドの大実業家が所有し、亡くなるまでこのダイヤを手放さなかったそう。
1939年に彼の相続人がカルティエを通じて売却し、現在は個人の所有となっています。
⑤オルロフ・ダイヤモンド 199.60ct
卵を半分に切った形のダイヤモンド。
ロシアのクレムリン宮殿の財宝の一つとして、王笏にセットされ展示されています。
このオルロフ・ダイヤモンドは、1774年グレゴリ・オルロフ伯爵が、ロシアの女王に献上したことから名づけられたもの。
オルロフ伯は、このダイヤを、45万ドルという大金で購入したといわれています。
一方このダイヤは、フランスの宝石商がインドで見て以来歴史的に消失したといわれる、グレート・ムガル・ダイヤモンドではないかという見方も。
オルロフ伯が手にしたダイヤが本物のグレート・ムガル・ダイヤモンドだとするなら、ペルシャ王によってアムステルダムにもたらされたものと考えられます。
⑥グレート・ムガル・ダイヤモンド
タージ・マハルを建てたことで有名なシャー・ジャハーンの息子が、フランスの宝石商にこのダイヤを見せたといわれています。
宝石商の話によれば、1550年頃にゴルコンダ近くの鉱山で発見され、当時は787.50ctだったそう。
しかし、宝石商が見たときは280ctしかなく、卵を半分に切ったたような形だったと記録されています。
じつは、このダイヤには沢山の傷が入っていたために、何度も研磨し、元は780ctあったものが280ctしか残らなかったのです。
1739年、グレート・ムガールやコー・イ・ヌールを含む皇帝の財宝はペルシャ人の手に。
1747年には、全ての宝石の行方がわからなくなってしまいました。
⑦コー・イ・ヌール・ダイヤモンド 108.93ct
1304年頃に発見され、インドの王の一族が所有していたダイヤモンド。
当時はなんと、600ctを超えていたという記録も残っています。
1526年までは二人のインド王侯が持っていたのですが、ムガル帝国の皇帝に渡り、そしてタージ・マハルを建立したシャー・ジャハーン帝の手に。
その後200年間人手を転々として、1739年、ペルシャ王の手に行き着きました。
ペルシャ王はそのきらめきを見て、「コー・イ・ヌール(光の山という意味) !」と叫んだといわれています。
1850年には、東インド会社を経てイギリスのビクトリア女王に献上されました。
翌年ロンドンでおこなわれた第1回万国博覧会に出展されましたが、輝きの少なさに人々が失望したため、女王はアムステルダムから研磨師を招いて再研磨をさせることに。
その際、現在の108.93ctのサイズになったそう。
現在も戴冠式などで使われ、英国王室の宝石として重要な地位を占めています。
⑧ピゴット・ダイヤモンド
重さ47ctから85.80ctまでいろいろな説があるダイヤモンド。
インドのジョージ・ピゴット男爵が所有していたため、彼の名前がつけられました。
何人もの手を渡り歩き、一時はナポレオンの母が所有していたともいわれています。
1818年にアルバニアの統治者が15万ドルで購入したのが最後だそう。
1822年、彼が80歳のとき、部下の将軍にピゴット・ダイヤモンドを手渡し、自分の目の前で打ち砕くように命じました。
打ち砕かれたという証拠はありませんが、それ以来現在までこのダイヤモンドの痕跡は見つかっていません。
ただし、前もってイギリスで造られた模型は残っています。
⑨フローレンティン・ダイヤモンド 137.27ct
インドで発見された137.27ctのダイヤでレモンイエローの色が特徴。
ダイヤの研磨法を発見した研磨師が、ブルゴーニュ公のために研磨しました。
1477年に、あるスイス人がこのダイヤを偶然見つけ、ガラスだと思い安価で売却したそう。
その後さまざまな人の手に渡り、1665年フランスの宝石商がフローレンスのメディチ家を訪れた際、トスカナ大公が彼に黄色のきれいなダイヤモンドを見せたと記録しています。
1737年オーストリアの女王の結婚のときには、ハプスブルグ家の王冠にセットされました。
後にこのダイヤはペンダント・ブローチにセットされ5万ドルと評価されたそう。
1918年皇帝がスイスへ亡命する時にその石を一緒に持っていったといわれています。
しかし、その後のこのダイヤの行方は全く知られていません。
⑩サンシー・ダイヤモンド
1570年頃、トルコのフランス大使でサンシーの領主が購入したダイヤ。
はじめてファセット(面)が左右対称に研磨されたダイヤで、彼はこのダイヤをフランスに持ち帰りました。
1605年にはイギリスのジェームズ1世に売られ、その後フランスのルイ14世に売られたそう。
1792年に王室財宝庫から他の宝石とともに盗まれましたが、1828年にはフランスに返却。
さまざまな人の手に渡ったのちに、1906年ウィリアム・W・アスターが購入したとされています。
しかし、インドのマハラジャがこのダイヤを持っているのは自分だと主張。
2つのダイヤは似ていますが、アスター氏の方が、サンシー・ダイヤモンドの記述(55ctで全面ファセットのペア・シェイプ)に一致しています。
このダイヤは現在、ルーブル美術館に展示されています。
⑪スター・オブ・ザ・サウス・ダイヤモンド 128.88ct
1853年7月ブラジルで奴隷が発見したダイヤ。
原石は261.88ctであり、ブラジルで発見されたダイヤの中で一番大きいものです。
発見後、アムステルダムで128.80ctのクッション・ブリリアントカットに研磨されたのですが、研磨には2ヶ月以上もかかったのだそう。
無色のダイヤで、内部にバラ色の閃光があります。
1862年に開かれたロンドンの展示会で飾られ、インドの国王に4万フランで売却されました。
現在はボンベイの個人が所有しています。
⑫ナサック・ダイヤモンド 43.38ct
ファセット(面)の少ない三角形のダイヤ。
元は90ctありましたが、現在は43.38ctのエメラルド・カットに研磨されています。
はじめはインドの王子が所有しており、地シヴァ神の像にこのダイヤをセットしました。
しかしイギリスがインドへ侵略した際には、戦利品の中に含まれていたそう。
その後三角形を保ったまま80.59ctに再研磨され、さらに輝きを増しました。
所有はウエストミンスター公などを経て、ハリーウィンストン社に。
43.38ctのエメラルドカットに再研磨され、さらに輝くようになりました。
1944年にニューヨークの宝石商からウィリアム・B・リード夫人に売却され、バゲットカットダイヤに囲まれた指輪にセットされています。
⑬リージェント・ダイヤモンド 140.50ct
1700年頃ゴルコンダの鉱山で発見された、410ctを超えるダイヤモンド。
さまざまな逸話がありますが、原石は18世紀のはじめに、イギリスの首相の祖父に売られて140.50ctのクッション・シェイプに研磨されたことが明らかになっています。
その後1707年にフランスのルイ15世の摂政(リージェント)が購入、リージェントと名づけられるように。
1792年の王室財宝庫からの宝飾品の盗難によって消失しましたが、その後発見され、ナポレオンが戴冠式で身につけました。
ナポレオンが追放された後、妻によって持ち出されたそうですが、父親のオーストリア皇帝がフランスへ返却。
現在はルーブル美術館に展示されています。
⑭ポーラ・スター・ダイヤモンド 40ct
インドで発見された色と品質共に良い40ctのダイヤモンド。
かつてナポレオン1世の長兄が所持していたといわれています。
1820年にこのダイヤはロシアに渡り、100年もの間貴族に所有されていました。
その後、パリの宝石商カルティエに売却され、1928年にカルティエから石油王の夫人に売られました。
夫人の死後、このダイヤは競売にかけられ、スリランカの業者の手に渡ったといわれています。
まとめ
ダイヤモンドは何世紀にも渡って世界中の人々を魅了してきました。
現在でも王室や博物館などで所有され、わたしたちに姿を見せてくれています。
ダイヤモンドはいつの時代も、人々の心を惹きつけてやまない、特別な宝石だったんですね。
古くから王侯貴族たちに愛されてきたダイヤモンドが時を超えて、愛する人への贈り物として左手の薬指に留まるようになったのは、とてもかけがえのないことと言えますね。
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